ルワンダ(5) その歴史を知らずには帰れない。フイエからさらに山奥にある「ムランビ虐殺記念館」へ

ルワンダコーヒーを堪能したあとの午後は、ガラッと趣向を変え、ルワンダの歴史を学びました。

1994年に世界を震撼させたルワンダ虐殺。決して国土が大きいとは言えないこの国で、100日間で実に100万人が亡くなったとも言われています。

フイエ・マウンテンコーヒーのツアーでご一緒させていただいた皆さんと仲良くなり、そのままキガリまで帰って夕食をご一緒するような誘いも遠回しに受けたので、予定を変更するか、かなり迷いました。

丁重にお断りした判断が正しかったのか、今でも思い返すことがありますが、2つの虐殺記念館を訪れることができたこと自体はシンプルに良かったと思います。特に、ムランビは足を運ぶ価値があると感じました。

一番最後に、アクセス方法も記載しています。

そもそも、ルワンダの虐殺事件とは?

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1994年4月からの数ヶ月、ルワンダでは100日間で100万人が虐殺されました。この事実を後世に語り継ぐべく、ルワンダには各所にジェノサイドミュージアムが残っています。

今回の旅で僕が訪れたのはHuye Mountain Coffeeから比較的近いムランビ、そして首都キガリの2つです。

事件発生に至るまでの背景

ルワンダには古来から2つの民族が共存していました。

元々はフツ族もツチ族も特に区別なく仲良く暮らしていましたが、植民地化したドイツとベルギーが統治の都合上明確に民族を分け、ツチ族を優遇。

以降は民族対立による犠牲者が絶えず発生し、90年代前半にはツチ族がウガンダへ逃避し、ウガンダ軍と組んでフツ族を攻撃するような動きも見られるようになりました。

いつ大きな問題になっても不思議ではなかった1994年4月、タンザニアで開かれた国際会議に出席したルワンダ大統領(フツ族)が乗った帰りの飛行機が爆破されたのがトリガーとなり、ルワンダ全土・全市民が関わる大虐殺に発展したとされます。

事件発生後

一般市民のフツ族に対しても、斧でも鉈でもとにかく凶器になるものを掻き集めよ、ツチ族を見たら一人残さず殺せという民族浄化キャンペーンが展開されました。

悪い意味で彼らは純粋で、ラジオを用いた政府のプロパガンダ活動に従順に動いてしまったゆえの悲劇だったとのこと(諸説あり、この見解については批判もあります)。

いずれにしても、ツチ族を殺したくない穏健派のフツ族も虐殺対象となり、ツチ族と結婚していたフツ族の女性はそれだけを理由に陵辱されました。

ツチ族の家は破壊・略奪され、山奥へ逃げ惑う彼らをフツ族は容赦無く追い詰めただけでなく、何の罪もない子供たちも例外なく虐殺されました。

ムランビ虐殺記念館とは

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後述の通り、フイエからニャマガベへマタトゥ(乗合タクシー)で移動し、そこからは徒歩かバイクタクシーです。

ここは25年前の1994年、建設途中の技術学校でした。ここで5万人が殺されました。

ルワンダは「千の丘の国」と言われるほど丘が多く、どこへ行っても山に囲まれたような地形ですが、ムランビはとりわけそのような地形になっていて周囲と隔絶されており、それが、虐殺場所としてここが選ばれた理由のようです。

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敷地内へ入ってからミュージアムの入口までは、まだ結構な距離があります。歩くと5分弱掛かりそう。見晴らしは良いのですぐ着きそうだけど、なかなか着かない。

ここから先は写真撮影禁止です。ここも撮ってよかったのかわかりませんが、ライフルを持った警官にも注意はされなかったので問題はないと思われます。

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ルワンダは少し前まで公用語がフランス語だったので、フランス語が一番上に来ていますが、英語の説明もあります。

記念館内にも多数のパネル展示とともに事の経緯が示されており、ここでは根気よく最初から最後まで丁寧に英語の説明を読みました。

避難所と嘘を付かれ、それを信じたツチ族が集められたあと、送電線を切り、断水させ、食べ物も与えず、衰弱させたこと。そしてある日の夜中3時頃、寝静まったツチ族をフツ族が一気に攻撃したこと。わずか25年前の話。

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館内のパネル展示を見終わると、外の展示物群へと案内してもらえます。

上の写真は、お墓がある場所です。

これとは別の裏手の倉庫内には、このムランビで殺された人々のミイラ化した遺体が大量に安置されています。まともに見ることは不可能です。むろん、写真はありません。

感想

そもそも今回ウガンダとルワンダを旅先に選んだのは、東アフリカで最も治安が良いと聞いたからで、とりわけルワンダは安全な国だと言われます。

しかし、たとえ現在が平和であっても25年前の出来事が風化したわけではなく、ルワンダまで来た以上は、負の遺産もしっかり見ていくのが筋だと思っていました。ポーランドのアウシュヴィッツにも行ったことがありますが、現場を見て、そこで何が起こったかを想像すると、本当に身がつまされます。

ミュージアムの展示は、

If you knew me and you really knew yourself, you would not have killed me.

というメッセージで締められていました。

そうなんですよね。すごいシンプルだけど、このセンテンスが全ての展示コーナーの最後に配されているのは何となくわかる気がする。

相手のことを、そして自分自身のことをもっとよく知っていれば、もっと冷静に見ることができれば、もっといろんなことを考えられる。そうすれば行動も変わり得る。

アウシュヴィッツへ行ったときも同じ感想を持ちましたが、過去の事実を正しく知って後世に語り継ぐことは生きている人間の義務だと思います。どこでも情報が手に入り、知っているということの価値は下がっていく世の中だけれど、それを過小評価すべきではないのだろうと思います。知らないというのは怖いこと、だと思います。

決して楽しい場所ではありませんが、ルワンダを旅する際は、ぜひ過去の史実に思いをめぐらせる時間を取っていただきたいと思います。

ムランビ虐殺記念館への行き方

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ムランビ虐殺記念館はフイエ中心部からはそこそこ距離があり、やや辺鄙な場所にありますが、ひとり旅のバックパッカーでも問題なく辿り着くことができます。

まずフイエのバスターミナルまで行き、そこで「ニャマガベ」行きのマタトゥ(乗合タクシー)を探します。500〜600フランぐらいだったはずです。所要30分程度。

ニャマガベはフイエから北東に向かう山あいの道を抜けた先にあり、フイエ・マウンテンコーヒーの前を通ります。

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ニャマガベのバスターミナルには、レストランらしき場所もありました。食事を取ろうと思えばおそらく可能です。

ニャマガベからムランビ虐殺記念館までは、歩くとおそらく1時間ぐらい掛かる距離で、歩けなくはないですが一般的にはバイクタクシーを使います。

ニャマガベにやって来る外国人が目指す場所は十中八九ムランビ虐殺記念館のようで、バスを降りるとムランビ、ムランビとバイタクの兄ちゃんが群がって寄ってくるので、移動手段の確保に困ることはないと思います。

ムランビ虐殺記念館での見学所要時間は、1〜1.5時間ぐらいと思います。

記念館周辺は何もないので、運ちゃんは一度ニャマガベのバスターミナルに戻ろうとすることが多いです。時間を指定して迎えに来てもらうか、電話番号を教えておいて見学が終わったら電話を掛けるかするのが良いです。

行きに通ってきた道を覚えておいて、歩いて帰るというのもアリです。ただし夕方の場合は道に迷っているうちに日が暮れるリスクもあるので気を付けて。